【箸休め企画】第3回 豆知識① 「上海」の名前の由来

 

●情報

上海の名前の由来は何ですか?と聞かれて何と答えますか?

きっと多くの人が「海の上にある街だから」とか「長江からの土砂が堆積して、元々海だった場所に土地ができて、その上にできた街だから」と答えるのではないでしょうか。

 

全て間違いです。

 

そもそも上海という名前が表に出始めたのは700年前。 宋の時代と言われています。

 

皆さんご存知の黄浦江。外灘の夜景とかで有名で、遊覧船に乗った方も多いでしょう。

上海の中心部を南北に貫く黄浦江ですが、じつはこれができたのは最近の事で、昔は呉松江という河(現在の蘇州河)の支流に過ぎませんでした。

数百年前、上海を含む長江デルタ地域の中心地は蘇州市(呉)。日本や琉球(沖縄県)、東南アジアなど東シナ海から来た貿易船は長江河口に入り、呉松江(蘇州河)を通って蘇州に入っていたのです。

 

そしてこの呉松江2つの支流が「上海浦」と「下海浦」。(黄浦江は上海浦の南部分で当時は黄浦という支流)

当時、呉松江の河口地域の村に鎮政府を設置するのですが、この時に上海浦の畔に鎮政府設置したので、この鎮政府を「上海鎮」と呼びました。初めて「上海」が地図に載った瞬間です。

その後、上海鎮を中心に呉松江(蘇州河)の南部を上海県としたのです。

 

 

地理が苦手な方には分かりにくいかもしれませんが、ようは上海浦の畔に鎮政府を設置したので「上海」という事です。

もし下海浦の畔に鎮政府を設置していたら今の呼び名は「下海」になっていたかもしれません。

もし下海だったら「上海は海の上の街だから」と言っていた人は何と答えるのでしょうか。さすがに「海の下だから」とは言えないですよね。

 

ちなみに1960年代の上海の地図は以下の通り

 

上海市は北は虹口区と楊浦区の南部。南は徐汇区。西は長寧区の内環線(中山公園付近)まで。

つまり日本人が多く住む天山、仙霞、古北などは上海県だったのです。

そして上海県の形を今に残しているのが閔行区です。

ちなみに現在上海市区(正式名:上海中心城区)と呼ばれるのは黄浦、静安、長寧、普陀、虹口、楊浦、徐汇、浦東の外環線内側を指します。

その他の行政区は郊区と呼ばれます。

良くわかる違いは車のナンバー。郊区専用のナンバーがあり、郊区は車が生活に必要なため、安くナンバーが取得できます。ナンバーで「C」のナンバーが郊区ナンバーです。ただしCナンバーは市区内での通行規制があり、一般的には外環線の内側に入れません。

また郊区の車の必要性から、車に乗れない人の為のタクシーが郊区専用タクシーです。オレンジ色のタクシーが郊区専用です。初乗り運賃が安いですよね。

このような違いがあります。

 

余談ですが、租界時代は上海市(上海城)は一時的に豫園を中心とした一帯を指しました。

豫園を中心に円状になっている人民路と中華路。これは上海城の城壁跡で、この城壁の外側は弁髪姿の清の漁民が住んでおり、城壁で分かれていました。

長州藩士高杉晋作はこの城壁の上から清の民を見て、西欧列国に植民地にされると日本もこうなると考え、日本に帰国後に軍備の強化や明治新政府の政策に影響を与えたと言います。

 

世界的に見て歴史が浅い上海ですが、歴史的経験の多い都市です。

ちょっとした豆知識として持っていると、現地社員や政府関係者との関係も強くなるでしょう。

せっかく上海に住んでいるのですから、この町をもっと知ってみてはいかがですか。

きっと更なる仕事の成功につながると思います。