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※本記事の内容は2015年に書いたものになります
1、KTV小姐の嘘と実態、KTVの内規
ネットや噂話で小姐の本性に関わる情報は多い。はたしてそれら情報は正しいかというと、はっきりいって半分正解、半分嘘と言ったところだろう。それはそうだ。小姐だって十人十色。みんな同じとは言い切れない。自分が指名している小姐が悪なのか、超能力者でなければそんなことは蓋を開けて見なければわからない。
ただし小姐の詐欺の歴史、KTV店で受けている教育、店のシステムを知り、小姐の根底にあるものを理解することで、悪の小姐を指名していてもトラブルを防ぐことができるであろう。
まずは過去の小姐から現代の小姐の変化を見ていく。過去も現代も共通しているのは「お金」なのだが、お金に対する考え方、お金の使い方がまったく違うと言える。
10年以上前の小姐なら、お金は故郷で苦しんでいる両親のために稼ぐもの。両親の衣食住を豊かにするために上海に来て働いていた。そして外国人と結婚して外国に住み、そこで旦那の扶養の元、多額の外貨を稼いで中国に送るというのが小姐の目標であり憧れであった。当時の中国はまだまだ発展途上。政府は輸出拡大のために人民元を安く設定していた。当時の上海人の平均月収は2000元。平均家賃は1100元(ローカルアパート)。
田舎から出てきた女の子達は上海で普通に働いても生活はできないのである。その為、外地人(上海市以外の出身者を指す言葉)を安く雇用したいレストラン経営者は寮を用意して、田舎から出てきた女の子達を雇用し、日本料理店では日本語の教育も行った。当時の上海駅の前には多くのスカウトマンが立ち、汽車を降りてきた女の子に声を掛け、置屋やサウナ(ソープランド)、KTVに売っていた。そしてそこで働き、そこで金持ち(役人や党員)の中国人と出会い、愛人契約をしてお金をもらう。
その金で故郷の家族を養い、両親のために故郷の市街地にマンションを買うことを目標にしていた。またKTVやバーでは外国人と出会い、そして結婚して外国に住むというのも憧れの一つだった。特に日本人は教養もあり、中国から最も近い先進国ということで人気があった。風俗店勤務を拒んだ女の子は日本料理店で働くようになった。
当時、上海には日本のようなスナックは無かった。その為、日本人駐在員のためにいくつかの日本料理店は22時を過ぎると、そのままスナック変わるスタイルであった。こういうシステムも故郷にいる両親には「料理店勤務」と言えることから、働き口として人気があったのかもしれない。
中国の日本人社会にも県人会があるように、中国人も同郷のつながりは強い。日本料理店で日本語を覚えた女の子は、同郷の仲間が日本式スナックで働き、簡単に自分の3倍もの給料を手にしているのを見る。そしてその小姐の紹介で夜の世界に足を踏み入れる。そこで自分の目の前で、自分の両親が数ヶ月働いて稼ぐお金を酒1本に使う光景を目の当たりにし、お金に対する考え方が麻痺していく。そして両親のために愛を売って金を稼いだり、年齢差20も離れている日本人と結婚して日本に行き、お金を稼いで中国に送っていたのだ。
この時代の小姐の嘘と言えば親の心臓病。とにかく旧正月前になると中国中の親が心臓病になる。「手術が必要。3万元かかる」と言って日本人に助けを求めて、日本人は救いの手を差し伸べていたのだ。
嘘とわかっていてもお金を出していた。
こういう状況が2008年くらいまで続いていただろうか。簡単にお金を出す日本人を見て、一部の小姐がそれをビジネスとし始めたのだ。その先駆けが今の縁むすびのママやチーママ達(当時「ねるとん」というKTVでトップを争っていた小姐)といったところだろうか。
日本人の心を利用してお金を稼ぎ、両親のマンションを買い終わった小姐は、今度は自分のためにお金を稼ぐようになる。
この頃になるとチップによる稼ぎだけでは足りなく、売上げ報酬による稼ぎに着目し、直接現金をくれる日本人には現金を、現金をくれず、会社の経費で飲む日本人には売上げを求めるようになり、小姐の要求は多彩化してくる。つまり今までは体をつかって稼いでいたスタイルから、体と頭を使うようになってきたのだ。
この頃の上海人は「株」や「不動産投資」で儲けたお金で高級車を買い、ブランド物を買いあさるようになって来ていた。田舎から出てきた小姐は中卒が多く、株や投資の事などまったく知らず、目の前の現金のみ信じていたのである。そして日本人から巻き上げたお金は高級賃貸マンションの家賃に使い、ベンツを買い、全身ブランド品をまとっていた。
今でも記憶がある。ショットバーにアフターで来ていた日本人とKTV小姐。日本人は初老のサラリーマン。小姐は全身ルイ・ヴィトンで固め、純白の毛皮コートの背中に、金色で大きく「LV」と入っていた。私は思わず噴出してしまったが、この時代になると田舎の小姐は、センスや見た目より、ブランドで固めることがステータスだったのだ。
つまり両親への孝行から、自身のステータスアップにお金を使うようになり始める。華やかな生活を味わった小姐はさらに上を目指し、売り上げ報酬と日本人からのお小遣いでは足りなくなり、日本人への要求額が更に上昇し、騙し方も多様化してくる。これらが現在の夜上海、ハニートラップの基礎を構築していったのだ。
そして愛を商品としたビジネスが始まり、それを警戒し始めた日本人を騙す最大の言葉「あなたは他の客と違う。あなただけ特別」というのが使われ始めたのである。これに騙された日本人は「父が心臓病になった。10万元必要。他の客にこんなこと相談できない。あなたは私にとって特別だから、あなただけに相談している」などというフレーズに、お金を出していったのだ。
2012年頃であろうか、尖閣諸島の国有化から反日デモの色が濃くなり、中国撤退企業が出はじめる。そういった背景からKTV小姐の給与システムを大きく変える店がオープンする。「オーロラ」というKTVを改修してできた「アゲハ」だ。日本人減によるチップ収入の減少を受け、チップだけでは満足しない小姐を集めるため、ボトルバックを高額に設定し、ボトル代金の大幅な値上げを行ったのだ。この当時、チップを400元に設定した店もあったが、400元のチップに不満を感じた日本人が多く、チップ400元に値上げした店は潰れていった。
ボトルバックを高額にしたことで、小姐の収入は大きく増え、それを聞きつけた小姐達がアゲハに殺到したのである。まだこの当時は会社の経費で飲む駐在員も多く、ボトルの値上げは領収書をもらうことで、駐在員にとっては苦では無かったのだろう。
各店から小姐が集まったアゲハはものすごい勢いで売上げを伸ばし、上海No.1になったのだ。
そして客が集まることで、小姐のチップ収入も増え、チップ収入は生活、売上げバックは故郷に送金、日本人からのお小遣いやお土産でステータス向上というスタイルが定着する。
これらは虹橋エリアの賃貸アパートの家賃高騰を招き、小姐達のバブル期が訪れたのである。バブルに沸いた小姐達はどんどん稼ぎ、ちょっとした資産家にまで成り上がっていったのだ。
この当時は中国経済もバブルに突入し、不動産価格の高騰が各地で発生。それに伴い家を買うことを目標としている中国人は大きな負担を強いられていた。自身の経済能力以上のローンを組んでマンションを買い生活が困窮する「房奴」と言う言葉が生まれたのもこの頃である。
これらはKTV小姐も同じで、生活とステータスを手に入れた小姐は家を一括で購入、もしくは多額の頭金を用意してローンを減らそうと考え、まとまったお金を手っ取り早く手に入れようと考え始めるようになった。その金主として駐在員を選び、いろいろな理由を用意してまとまった金を手に入れようと画策し始めた。
最初のターゲットは帰任者とめんどくさい客。バブルを迎えた小姐はアゲハに居れば客に困ることが無くなる。需要が供給を大きく上まったアゲハでは、小姐が客を選ぶようになり、そこに「サービス」と言う言葉は存在しなくなる。店では小姐が大手を振って歩き、お客の前では大柄な態度。客が文句を言えば「じゃああなた要らない」と言う状況になった。
こんなバブルの情況で、小姐達は客を選定し、小遣用、売上用と分類して言ったのだ。
そして要らない客、帰任客には高額のお金を請求するようになったのである。その言い分は「あなたは私にとって特別な存在。会社を辞めて、奥さんと離婚して」と無理難題を言い出す。
そして「無理」と言う言葉を引き出し「私の青春を返して!」と騒ぐのだ。金で解決するのが大好きな日本人は、手切れ金として10万元程度(日本円で約200万円)のお金を渡して帰任していくのだ。これを見ていた他の小姐も真似をする。
帰任時には10万元くらいの手切れ金を払うのが当然という、異様な習慣が始まったのである。
他の店でもアゲハに小姐を取られ、売上減が続いたため、アゲハと同様のシステムを取り入れるようになり、東京より高い料金設定が始まったのだ。そして小姐はボトルバックを求めて「酒を捨てる」という行動を日常茶飯事行うようになる。
店は小姐が居れば客が来る。小姐が居れば高くても客は金を払う。こういう考え方が蔓延し、小姐バブルはより一層大きくなり、上海に来て夜の仕事をすれば一獲千金という夢も現実となり、田舎では先に上海で稼いでいる同郷の友人や従姉妹を頼って続々と上海に集まってきたのである。
この頃は店側のルールも皆無に等しく、面接に来た小姐は何でも採用。小姐が客と喧嘩になっても「小姐の方を守り、客を切る」という情況になる。駐在員はいつかは日本に帰るわけだから、店も小姐も今のうちに取れるだけ取ると言う現象が起こっていった。
その典型的な店が「クリスタル」というKTVだった。小姐ともめれば店の黒服たちが個室に乗り込んで客をリンチ。財布から現金を奪い、階段やエスカレーターで突き落とすなんていうのも良くあった。また小姐も供給過剰状態になり、店の利にかなわない小姐は捨てると言う考えが始まる。
クリスタルでは店ともめた小姐が、黒服達に制服のまま抱え上げられ、外に捨てられるなんていうのもあった。それでも小姐が足りなくなることは無く、小姐が居れば日本人客は来ていたのである。
小姐の取り合いになった駐在員はより多くのお金を使うようになり、次第にライバル客を調べてネットに晒したり、潰し合ったり、日本人同士で喧嘩したりと変化していった。
そんな駐在員を背景に小姐達は愛を商品に変えて金を稼ぎ、日本人の資産を羨んでいたというのは過去物語になり、小姐は資産家になっていき、今では日本人より稼ぎ、日本人より預金が多くなっていったのだった。
公安も莫大なお金を稼ぐKTVとつながるようになり、反日の影響もあってか、日本人が被害に遭っても助けない。黒服にリンチを受けても「酔ったお前が悪い」と言うようになり、事件はもみ消されることも多くなってきた。
そして駐在員は日本の常識で自分自身では対処できない、さらに常識範囲のお金では解決できないという時代が始まったのだった。
売春婦も売春行為で稼ぐのではなく、「私は売春をしないまじめな子」を演じて客と肉体関係を持つようになる。そして駐在員の心の中に入り込み、金をむしりとり、売春ではない「恋人」という言葉を使って特別感を演出し、枕営業や売春ではないように演じる。愛と体と頭を使った新しい形の売春がスタートしたのであった。
そしてこの言葉に騙された駐在員は売春であることも、枕営業であることも、恋愛詐欺であることにも気が付くことはなく、夢のような上海ライフを送ってしまうのだ。近い将来に地獄が待っていることも知らずに……
2012年後半になると、中国の急激な経済発展を背景に、人経費の高騰、事務所家賃の高騰が顕著に現れ、中国進出の日本企業は利益減から、撤退、倒産、経費削減が相次ぐ。
駐在員や出張者の娯楽施設での領収書精算にも制限が掛かり始めると、店や小姐の売上は激減していった。
本来であれば価格を落とし、サービスを向上させて、客確保に取り組むのが普通なのだが、さすがここは中国。欲望の街上海。
一度味わったステータスをそう簡単には手放せないのだ。小姐達はあらゆる方法で現在の生活維持、向上させようと躍起になり、店側も客の確保のために小姐を集め、小姐を儲けさせようと考えるようになるのだ。
小姐は見えない売春で確保している客に高い要求をするようになる。所詮は学の無い小姐。生活が苦しくなると一層激しく要求するようになり、その願いがかなわないと逆切れをして騒ぎ出す。まるで幼児のおねだりの用に振舞うようになった。
それに耐えられなくなった駐在員はお金を渡してしまう。店に来なければ「他に女が居るんだろう」と騒ぎ出し、「浮気したのはあなた。賠償しろ」と言ってくる。
そんな情況でも店は客を集めるために小姐が必要と考え、客が店に苦情を言っても店のママは「お金渡してあげてよ。彼女頑張っているよ。あなただけだから。助けてあげて」と小姐を擁護する。
こういう小さなトラブルが原因で客が減っているにもかかわらず、客が居ないのは小姐が少ないからだと考え、小姐を増やすことだけに必死になり、顧客第一と言う発想にたどり着くことは無く、駐在員は小姐のわがままに振り回されるようになるのである。
当然店に対する苦情は増加。店の営業にも影響が出るようになると、店は小姐の教育を始めるようになった。しかしその教育はサービス向上ではなかった。
「金を取るなら店に迷惑を掛けるな。その代わり上手な金の取り方を教える」という恐ろしい現象が各店で起こり始める。
そしてこの時の教育係やママさん達は、2008年の頃に「ねるとん」で日本人を利用して一攫千金を叶えた小姐達なのだ。
その多くは主に「縁むすび」でチーママ、ママをするようになり、他店でもママとして君臨し、小姐たちの憧れであり、金儲けの教授となっていったのだった。
2014年に入るとアベノミクス効果で日本円は安くなり、また中国では景気に陰りが見え始める。
この頃になると常駐日本人は全盛期の三分の一になり、日系企業の撤退が益々加速していく。
客を失ったKTVは中国がデフレ傾向に進んでいるにも関わらず、小姐の在籍数確保のため、ボトルやセット料金の値上げを開始。あわせて小姐と店の利益確保に走るようになる。
それと同時に売上やチップ収入が減少した小姐は、生活維持が困難になり、それでも貯金は崩さず、日本人から何とかしてお金をもらって生活を確保し、隙あればまとまった金を手に入れようとするようになる。
店の規定も変化を見せ、ママの給与は小姐の在籍数で決まるようになる。これは小姐の数が多ければ客が来ると言う伝統の継承なのだ。
チーママは一般小姐を20人から30人を部下とし、その総売り上げと稼動数で給料が決まるチーム制になった。
小姐にはボトル表が配られ、そこには販売価格とボトルバック、売上ポイント等が記載されていて、客の前で堂々と表を見るようになり、客の好みに関わらずボトルバックが多くて、売上ポイントの多い酒を小姐は要求するようになる。
この頃には既に需要が減少して供給過多の情況になっており、小姐は客の確保に必死になり、結果として枕営業が増加した。この枕営業はやはり表向きは「恋人」と言って駐在員を取り込むのである。さらに出張者向けの売春は価格も高騰し2008年頃は800元前後(日本円で約16000円)だったものが2500元(日本円で50000円)になり、事実上、売春では客がつかないようになった。
小姐達は恋人という名の売春を普通に行うようになり、それに気が付かない駐在員は「自分の彼女は売春はしない。他の小姐とは違うのだ」と言うようになる。
チーママ達はチームの売上確保のため、ママは小姐確保のために「どういう会話をすれば売上が上がるのか。どうやれば日本人から高額のまとまった金を取ることができるのか」を看板にして小姐確保に励むようになる。
その指導内容は「妊娠したらラッキーと思え。とりあえず肉体関係を持った客全てにメールしろ。そして産みたい。と言え。」と教える。当然妻子のある駐在員は「産んでは困る」と言う。すると「じゃあ責任とって。病院代1万元(実際は2000元前後で可能)、3ヶ月仕事できないから生活保証金2万元/月で3か月分」と言い出す。産んでほしくない駐在員は当然このお金、合計で約7万元(日本円で140万円)を出してしまうのです。これを15人にメールして5人が騙されてくれれば35万元(日本円で700万円)もの大金を入手できるのだ。
小姐は絶対に子供を産まない。早く人工流産をして仕事に戻りたいのだ。一人っ子政策の中国では堕胎は簡単にできる。しかし駐在員は「もし産んでしまったらどうよう。」と悩み、確証がほしくて、言われるままに金を出すのである。
STCCに来た相談の中には肉体関係も無く、2回だけ指名した小姐から「妊娠した」と言われて賠償金で20万元請求されたという相談もあった。女の子の言い分は「この前、酔った時にあなたの家に送ったでしょ。その時あなたに無理矢理私を犯した。警察に行くかお金払うか」こんな無茶苦茶なことまで言い出すようになっている。
またママはこうも指導する。「客の家に入ったら、全て写真を撮れ。日本の家族から送られてきたEMS等を見つけて、その伝票を撮影しろ。パスポートを撮影しろ。会社の名刺を確保しろ。」このような情報収集を指導する。これらは後々役に立つからと。まるで美人局のようにも感じるが、ママ達には指導による礼金は入らないので、やるやらないは小姐次第。美人局でないのだと考える。
そして情報を確保した小姐は妊娠賠償や手切れ金の要求を当たり前のように行うようになった。
それはまるでドラマのような世界ではあるが、小姐の歴史を見ていくと、その時々の経済状況に応じて変化し、それでも貪欲にお金を集める姿勢が伺える。中国は拝金主義と言いますが、たしかに金が無ければ病院にも行けない。家を買わなければ安心が無い。悪事はバレなければ大丈夫。実に中国の政策の影響を受けた農村の小姐の現実が見えてくる。
そして現在の中国経済、駐在員の減少、外資企業の撤退、円安など、これらの要因はまた新たな小姐の仕事像を形成し、言葉巧みに駐在員の心に入り込んでくるのであろう。
免疫の無い駐在員はこの事実を知らず、未だに「小姐は貧乏でかわいそう。農村では両親が苦しんでいる。弟の学費のため、妹の将来のため、兄の結婚のためにやりたく無い仕事を頑張っている。」と本気で思っており、あらゆる理由でお金を取られていく。
そしてその事に気が付いた時、すでに個人情報を握られた駐在員は逃げ出すことすらできなくなっているのである。
「現在の小姐はあなたより金持ちだ。」もう一度そのことを認識して頂きたく思う。そして虎視眈々とあなたの個人情報を集めていると言う現実を理解してほしい。
STCCに相談に来る方はそのほとんどが小姐の本名すら知らない。「名前を知っている」と言ってもそれは偽名であって、本名ではないと言うことが多いのだ。生年月日すら偽造されたもの。中には偽物の身分証まで用意している小姐も居る。
駐在員は何も小姐の事を知らず、小姐は駐在員の全ての個人情報を確保している。
現在の小姐は情報化しており、心も愛も体も、そして妊娠した時の小さな命ですら、生き残るための、金のための商売道具なのだ。そして不倫、社会的信用、買春という駐在員の弱点を確実に押さえているのである。
この現実をしっかり見ておく必要があると感じるのであった。
つづく…
次回予告:「2、事件ファイル-ぼったくり被害とその流れ 」おたのしみに…